アメリカ東海岸より帰国してからも、『デザイン留学後のにっき(仮!)』として今年4月1日よりブログを書き始めていました。が、留学「中」の現地からお伝えするブログと、留学「後」の実務者として東京からお伝えするブログを分けようということで、この度引っ越しいたしました。
引き続き、産経デジタルさんにお世話になります。(ありがとうございます!)
古いブログも新しいブログも、今後ともよろしくお願いいたします。
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2007年8月2日に始まった留学生活もようやく終わりを迎える。
卒業式後も一部のプロジェクトが続いたけど、ようやくそれも終了の目処がついた。いま、やっと2年間の終止符が打てるとき。
そう、
2009年5月18日。
ペンシルバニア大学の卒業式。
この日、、、
、、全米が泣いた。
いや、泣いている人は、私の記憶をたどれば誰も見受けられなかったが、キャンパスは喜びの笑顔に満ちた、それは確かにいい日だった。晴れ渡る空の下、生温かい微風が時折吹く。湿度も高いがフィラデルフィアらしい春気候。学位を授与する学生、そしてそれを見届ける家族がアメリカ各地、そして世界中からつめかける。私も日本から母親が来てくれた。朝8時半に集合した学生たちはキャンパス内を列になって歩き、その後、10時からフランクリンフィールドという大学の競技場に集合。そこで合同の式が開催され、学長やゲストスピーカー(グーグルCEO Eric E.Schmidt)からの祝辞が述べられる。午後は各スクールに分かれ、学位授与式が行われた。私もデザインスクールよりMaster of Landscape Architectureを修得。


UPENNデザインスクールで過ごした2年間。
長くもなく短くもなく、淡白な表現だけど、1回の夏休みを挟んで2セミスターを2回繰り返した。時間は、私にとって数字で計れるものに過ぎない。で も、ここで得たもの、そして同時に無意識に失くしていったものは、きっと沢山あって、それら結果の良し悪しは今はまだ分からない。でも、その沢山の出来 事の中でも、一つ大事だったかなと思うのは、(リアルな距離を置いて)日本を俯瞰できたこと。環境デザインというフィルターを通してだけど、海外に出て みて自分の育った国について違って見えたこともあったし、当たり前にして通り過ぎていたことも再確認できた。
改めて「日本らしさ」に気づく
日本には世界に誇れるような生活文化がある、ということを改めて感じた。ここUSAで様々な国から集まった人たちから、日本のもつ生活文化を尊重する眼差しを向けられた。もう少し的を絞って言えば、それは生活を形作る日常のデザインについてである。伝統的なものから、現代の車や文房具、ファッション、インテリアや建築など、生活をとりまくあらゆるモノの背後にある考え方に関心があったように思う。それは高い技術力を小さなもの(スペース)に集約する力。私の携わる分野で言えば、緑化技術、建築の耐震技術をはじめ環境負荷を減らす配慮をした新素材開発などは世界トップクラスであるのは間違いない。そうした技術をただ遂行するだけでなく、そこに自然観や何かしらの哲学(彼らはときに神話といったが)を見いだして、形として美しいものにしてしまう、とのこと。留学して改めて認識したのは、「見立て」と高度な技術が日本の日常デザインの特徴であることであり、それが強みであるということだった。
その「日本らしさ」に葛藤する
こういう「日本らしさ」は今になって分かるんだけれど、これが分からないときには意思疎通もうまくいかず、更にはその原因もつかめずに困り果てた。日本の大学や現場で無意識にやってきたことが、こっちでは通じないところから始まってしまう。それは、空間設計の課題で毎度葛藤した。
小さなスペースを活かす、
既存の空間が持っている特性を引き出そうとする、
こうしたごく日本の設計環境で無意識に行ってきた空間への考え方やスキルが、ここアメリカの設計では、まず通じなかった。説得しようとするが、基盤となるカルチャーだけでなく、設計の方法論もまるで違うときた。まずはアメリカ流を学んでやろう!と意気込んでいたものの、1年たったときにValerio Morabito教授からの言葉が今も忘れられない。
「このNaokoのデザインは器用にできてるけれど、これじゃ、「まんまアメリカ」だよ。自分自身や自国の文化を無視して、異国の地でデザインをしていいのかどうかもっと自問せよ。」そんなパンチのある事を言われたとき、自分で描いた図面も模型もドローイング全部が、他の誰かのものに見えてきてしまって、すごくむなしい想いをしたのを覚えている。
「日本らしさ」を国際競争力の基盤にしたい
ちょっと唐突だが、私は「型やぶり」と、「型はずれ」は違うと思う。
「型はずれ」は突拍子もなく生み出された結果。それは気まぐれであり、また偶然なものであってルールを持たないアウトプットだ。一方「型やぶり」には、もともと型と言われるルールがあって、それを言葉どおりやぶるということ。つまり、体系づけられたものがアレンジされたアウトプットだ。
異国で学ぶ、ということは、「型はずし」ではなく「型やぶり」でなければならない。自国でさずかった型、それはときにカルチャーというかもしれないが、そうした基盤があってこそ、海外で学んだことをそこにミックスさせることができる。
アメリカにはアメリカの、もっと言えば、ペンシルバニア大学ではペンシルバニア大学の理念や基本的な方法論ある。そこに反発するのではなく、ただ従順に吸収するのではなく、日本での自己の経験と結びつけることが大切だろうと思っていたし、今も改めて実感している。結局、ここで学んだことを日本でも伝えたり、また日本から発信できる競争力にするためには、考え方の起点を自国におかざるを得ないのだ。
留学中は世界の友人たちと本気でやりあう日々だったが、やりあうためには日本のよさを無視できないと何度も感じた。
結局、ここで学んだこととは
率直に言って、スキルやナレッジではない。
日本人として世界で競争していくための考え方だったと思う。
そして疑う力。
ここで学んだ知識や技術は、あと10年すればすっかり変わっているかもしれない。今日という日に正しいと思って学んだ知識や技術は、未来ではどのように使われているか、もしくはなくなっているものかは分からない。変化の激しい時代で求められるのは、一定期間に修得したこれらの知識や技術を体系の中で位置づけることと、またそこから新たなビジョンを生み出すクリエイティビティだと思う。
小学生のような表現になってしまうが、世界には色んな人がいて、色んな考え方を持っていて、それらが関係しあって社会ができている。そんな当たり前のことを留学中に何度も見つめ直した。常識、というものですら、一つの考え方でしかないことを。
そうした様々な見方に触れた留学後は、環境デザインという専門分野、それも実務を通して形にしていきたい。


今までこのブログに訪れてくれた方、本当にありがとうございました。
ブログに立ち寄ってくださっていた方、うっかり覗いてしまった方(笑)、メッセージやメールをいただいた方、そして中には直接会った方、そのすべて の痕跡が私の視野を柔軟に開いてくれました。いただいたメッセージの内容は万別、シンプルな感想からストー リー性のある長いメッセージまで。日本か ら、そして中国、スペイン、フランス、アメリカ含め、多くの日本人が海外でがんばっていることもブログを通して知ることができました。
ここでの留学生活は、多くの人に導いていただき、支えられてきたもので今もってその謝意がつきません。本当にありがとうございました。
今後どこかできっとお会いいたしましょう。
加藤直子
フィラデルフィアにて
2009年6月
アメリカの大学院教育のキーワードの一つ、リーダシップ(笑)。英語力のいまだ貧しい私も、グループ・ワークへの関わり方が大きく変化し、特に2年目からは、デザイン・プロジェクトのリーダーになる機会が増えてきた。自分の経験を改善すべく、同志の中でもいいリーダーだなーと思える人やこの業界の先輩を見て感じたことをここにまとめておこう。プロフェッショナルな世界では、時間や人材の適材適所といったバランス感覚よりも、その途のabilityを一番持っている人がリーダーなのかなと思うようになった。特にデザインで言うと、「形にする力」もう少し言えば「描く力」を圧倒的に持った人だと思うようになってきた。
1. ビジュアルでコミュニケーションする
絵は簡単でいい。ブレインストーミング、ディスカッションなど、どんどんとメンバーから出されるアイディアや方向性を絵にしてまとめていく。この段階では絵が上手でなくていい。言葉も記号として扱いながら、グラフや図形でもいいし、とにかく絵として意見を共有する。最終的な成果物として仕上げるものデザインという形あるものである限り、はじめの段階からビジュアルでコミュニケーションをスタートさせてプロセスを踏んでいくといい。グループワークといえど、個人が各種の政策にとりかかればそこには自ずとその人のセンスや感性が入ってくる。それらをグループとして一つにまとめるためにも、会話もビジュアルに表現していくことで、この次のステップ(製作段階)に入ったときの誤解が減らせる。デザインが他のグループワークと大きく異なることがあるとすれば、リーダー=(絵にする)書記であることだろうか。
2.ビジュアルとリンクした言葉でまとめる
1でまとめたビジュアルを言葉で言い換える。つまり、この絵は何を示していることになるのか、といったことをもっともふさわしい言葉で、端的にまとめることでディスカッションに決着をつける。メッセージ性のある言葉、明快な言葉、それらを使うだけではなくて、その言葉が1で現れたビジュアルと一致しているかどうかを確認することがポイントだと思う。ビジュアルというのは、感性とか印象で決められるかと言えばそうではない。このコンセプトにはこの表現、この色、この形でビジュアライズする、といったうようなある程度の「型」なるものがあるし、その型に沿いながら、メンバー内でビジュアルと共に言葉を共有しておくとベターなよう。後に方向性が混乱したときにも、言葉と絵に戻れる。
3. 迫力ある絵が描ける
これはプレゼンテーションに使う絵のこと。1で言うスピーディーにまとめあげた簡潔な絵(例えばコンセプトダイアグラム)とは少し異なる。デザインって最終成果として、アイディアに形を与える分野だし、その形を与える方法の一つは絵だと思う。リーダーは、メンバーのバランスを考えたり指示を行うだけでなく、実際に自分も一員としていくつかの絵を描いて仕上げることが多い。そのとき、リーダーが迫力ある絵を描けることで、チームのまとまりが全然違う。そんな空気を何度も感じてきた。絵に対するセンスとかアビリティは、メンバーからの隠れた期待感だ。グループワークの成果は、半分はやはり成果物の質で決まるし、メンバーの不安もそこにある気がしている。「この人なら、いい絵を描いてくれる!」そういうシンプルなところに最終的な信頼感が集まっている気がしてならない。
そのほかで言うと、体力があって徹夜をしない人というのもリーダー要素かも。ケース・スタディーの知識量もアイディアをストラテジーに移す段階で効果大。でもまずは、こうした「描く力」がいいリーダーといいメンバーシップを作るような気がしている。描いたビジュアルは、プロジェクトの方向性を表してくれるし、こうして見える形にすることで異なる感性を持ったメンバーが同じ方向を向いて進みやすい。そしてこの方法は、英語という言葉の壁があったとしてもビジュアル・コミュニケーションとによって、留学生でもアメリカ人の中でどんどんとリーダーシップをとれる可能性を持っている気もしている。
ま、当の本人と言えば、描く力の向上に加えて、アメリカ的リーダーというイメージからはほど遠い’緩い雰囲気’をまずはなんとかしなければならないとは一応思っている。。
まもなく卒業を控えているからだろうか、
無意識のうちに当大学のグッズに目がいってしまう。
大学グッズって、大学の名前が入っている日用品とか記念品。
「PENN」という文字が、たいていの商品にドカっと書いてある。
一見ダサい?と思いがちだが、結構いいものもみつかったりする。がんばって掘り起こせばね(笑)。卒業前にモノに思い出刻むために買おう、という気持ちはなくはないが、これらPENNグッズは大学のブックストア内(36th&Walnut)にあるので、本を見るついでにふらりと眺めたりする。

このPENNグッズには、服、インテリア、ステーショナリー、キッチン用品にお菓子、時計服務貴金属、ゴルフセットなどいろいろ。(そのうち、車でもできるんじゃないかしら。PENN CARとか?) ちなみに服については、PENNブランドとWhartonブランドの2種類がある。デザインは同じだが、服の真ん中とか腕の部分に入っているネームが、ペンシルバニア大学の名称PENNか、ビジネススクールに特化した名称Whartonかで違うというもの。はて、これらの値段は同じでしょうか?Whartonネームの方が高いのでしょうか?そういえば比べたことがありません。値段ともあれ、デザインスクール生の私はWhartonのネームが入ったものはさすがに買っていない。当たり前といえば当たり前なのですが、持っていたらミステリアスでしょうね。ネームにはきっと意味があるのでね。
とかくこれら(笑)、
UPennの名前が入っていると、値段がノーブランドのその商品の30%増くらいする。
うーん、私立大学アイビーリーグは抜け目が無い。。

そして、この抜け目のないシカケにまんまと乗るのが私である。
Tシャツ買ったり、チョコ買ったり。
そして今回、気になったもの。
鳥の巣箱。(写真右真ん中に見える、PENNて書かれた木のおうち)
使わないねー。
使えないねー。
でも、欲しい。
ここフィラデルフィアのセンターシティーで、見たんだよね。
住宅に隣接した街路樹に、誰かがしかけた巣箱に鳥が住んでたのを。
雛までかえってたんだよね。
こういうある種の和やかな理想風景が、私の脳裏に思い出されて欲しくなってしまった訳です。
私はきっとお子様です。
日用品だか記念品だか分からないこの鳥の巣箱は(笑)、一つ一つ手作りで生産の手間がかかってる。そのせいかしら、お値段は30ドルくらいで、私にとってはすぐには手は届かない。でもいったいどういう経緯で「鳥の巣箱をPENNブランドで発売しましょう」なんて企画が進んだのか疑問にも思える商品。誰がどうやって売れると見込んだのでしょうか。おそらく最初の企画会議では案が通らなかったグッズに思えて仕方ない。
なんて色々考え出したら、ませたお子様です。
うーん、
実用的でないものを買う習慣は留学前になかったんだけどなー。
こういう「使えない素敵なもの(←あくまで本人の思いとして)」を留学中にどれだけ買ったことか、、、
メキシコで買ったハンモック、
全部飾れば、家の中が大変です。
植物や土、水といったを自然をデザイン素材としてメインに取り扱う、ランドスケープ・デザイン。建築家がコンクリート、木材や石、こうした素材を使って空間を形づくるのと同じように、ランドスケープ・デザイナーは自然素材を得意として空間を形作るデザイン領域だ。その扱うデザイン素材の特徴ゆえ、ランドスケープとはガーデニングでは?と間違えられそうだが、実のところそのデザイン対象は庭にとどまらず、公共公園や都市開発までと範囲は広い。ただ、どんな大きさの空間をデザインしようと、ランドスケープデザインは自然をメインのデザイン素材として扱っている。
植物学、ミクロ気候学、土壌学、水理学など、とおりいっぺんの植栽に関わる授業はUPennデザインスクールの選択授業に用意されている。サイエンスの観点よりも、もちろんデザインを主体として、これらの授業のプログラムが組まれている。(ま、”デザインスクール” だしね。)その自然の中でも、植物は代表的なデザイン素材。植物学がようやく最後のセミスターになって履修。
実際に行うことといえば、1)いくつかのランドスケープ・プロジェクトの事例を参考に使われている樹種を調べる。2)その樹種と環境との適正を、土壌、気候、樹種どうしの競合などの観点から見てみる。そういったケーススタディイーのあとに、3)植栽設計地が与えられ、そこに木、潅木、花を使って空間をデザインせよ。と、そういう感じ。課題によっては、四季折々の開花時期を配慮せよ、とか、水環境を生かしてデザインせよ、とかオプションがつく。


これがちょっと大変。
植栽デザインのケース・スタディをしたところで、実際に自分でデザインをしようと思えば、当然ながら木や花の種類を知っていないと空間のイメージもつきにくい。ある程度の木や花の知識を持っていたら、デザインがスムーズにしやすいんだけど、残念ながら、このクラスを履修するまでは植物に関しては、かじり程度にしか知らず。(それも茶道で覚えた茶花に限定されてしまう。)なので一から知識を詰め込み。つまり大量暗記。アメリカでは一般的に、こういう知識の暗記系は授業カリキュラムに組み込まれずないので、余白時間をみつけて暗記することに。日本の学校だと暗記することも、テスト形式などで時間を確保してもらえることが多いから助かるんだけど。。(ぶつぶつ)
幸いなのは、日本で覚えた知識が少しは使えるところかな。日本とフィラデルフィアの気候は湿度の高い温帯に属しているし、土壌も(都市内であれば)植栽に配慮する点が大きく異なったりはしない。だから日本で覚えてきた植物名があながち無駄にはなっていない。と楽観的になってみても、アメリカと日本では、デザインとして使う「鉄板植種」が違ってきているようにも思う。人気のある(人気があるとされる)木や花が国によって違っているみたい。だから、やっぱり覚えなおしか。。。
アメリカに来てから、(おそらく初の)大量暗記を経験中。
ふむふむ、
ケース・スタディーから離れた暗記の勉強は、気分が変わって楽しい。
。。。
かな。(笑)



ここ4月は卒業前ということかしら、デザインスクールの枠を越えて、集いを楽しんでいる。昨晩は、ビジネススクールの日本人I藤氏と、K谷氏とワインをご一緒した。現1年生I藤氏と現2年生K谷氏は、入学当初よりUPennでの留学生活の様子をブログを書いている。果ては偶然なのか、昨晩はUPennブロガーの集いとなった。

明晰 I藤氏、情熱 K谷氏。
ブロガーとしての代名詞は、私の中ではそうである。
そして実際のトークも、やはり、そうである。
I藤氏(←イニシャル表記の効果薄ですが、、)のストーリーは不思議なほどにストンと腑に落ちる。K谷氏や私の話の出だしを、はじめから、その話の成り行きを知っておられるかのように、見事にロジカルで、クリアな言葉でまとめられる。私が話をふっておきながら、その話の結末に私が心地よさを覚える始末。。。その会話の心地よさを知りたくて、もっと違う話も振ってみたかったと思ったり。
K谷氏は熱い。この熱さはそのままモチベーションの高さという印象。K谷氏は、留学も含め、ひとと のつながりを、自分のモチベーションに変える源として捉えられているのが伝わってくるし、そのシンプルで率直な大切さをいつも教わる。
ただ昨日、気になったのは、会話が盛り上がってきたところでのK谷氏の流れ。
確かK谷氏の留学動機のストーリーの入り口をすでに入って、中盤に差し掛かったときだっただろうか。
「じゃ、この先の話については2007 年○月○日のエントリに書いてあるから見てよ。」と。
会話中断。
(え、こうやってブログって使うんですか?)
新しくて、おもしろすぎました。
「ブログも後で読みますが、今、その内容を言ってくださいよ」とリクエストをしてみたが、「いやいや、ブログを見てよ。」とご本人。結局、ご本人を目の前にして、I藤氏のiPhoneでK谷氏のブログを急いで読んで会話をつなげるという、、、ウェブ上と実状のコミュニケーションが混乱した状態になっておりました。
K谷氏とI藤氏、今もUPennでブログをされている方はいるが、ブログによって得ていた見えないコミュニケーションは、自分にとってはどこか親近感につながっていたと思う。ウェブ上だけでなく、卒業までに実際にこうしてお酒をご一緒できる場をいただいたことは嬉しかった。留学生として、ブログへのスタンスは違いを認識しながらも、こうしてウェブ上、リアルの両世界で楽しむのもおもしろかったです。
今日のリンク
追伸:実は今日、このエントリを出したのには理由があるのです。
なんせ、昨晩のことをブログにアップすることがブロガー間の「宿題」になっているのです。(笑)

昨日5日(日)は、清清しい晴天の中、キャンパスの桜やマグノリアが満開。
ここフィラデルフィアにも、長い冬の後にようやく春が訪れた。




夜7時に授業が終わって、さて、夕飯を買いにでもいこうかとしていたところ、アメリカ人Emilyに声をかけられた。相変わらず細い彼女。そのか細い体とはギャップのある早口で勢いよくしゃべる様子もいつもどおりだが、その口調はいつも朗らかだ。そのEmily曰くどうやら日本人の方が、デザインスクールに来てくれていたらしい。それもこのブログを見てくれていたことをEmilyに告げてくれていたようで。恐縮です。。
本日デザインスクールに来てくれた方、私を怖がらないでいてくださったら連絡ください。ご案内いたします。言語オプションとして、たどたどしい英語か、おぼつかない日本語かを選択いただけます。それは冗談です。(たぶん)


ブログにネガティブなことを書いてしまいそうで、そしてそういう事は好きじゃないので(愚痴はそこそこ言ってますが 笑)、更新がしばし滞っちゃった。でも自分の気持ちにも向き合って、整理がつけられた気がしている。大股で歩こうとせずに、もう一度確実の半歩ずつを重ねていこうと再確認。
今日はアバウトな言葉しか言えないけど、フィラデルフィアで元気でやっています。
日本の春はいかがですか?
昨晩、無事にチェコ共和国よりアメリカの(←あえて言いますが)フィラデルフィアに帰国。3月5日から16日までの春休みの期間を利用した、チェコ共和国Czech Republicの地方都市スラボニーチェSlavoniceでのデザイン研修を終えました。
いやはや、ブログの更新お待たせしました。(別に待ってないよ、とか言わないずにそこはお願いします。)

(今回の設計対象地であるスラボニーチェSlavoniceという街。中世の街並みが残る)
帰路に着く頃は、いつもなら、「あー、旅も終わりか。現実世界に戻るなー」と旅路を省みて早々に思い出に浸るところだが、今回ばかりは「フィラデルフィアに戻ってこれた」という感で胸がいっぱいに。この気持は疲労感と達成感によるものだ。帰りの飛行機内で一人で涙ぐむ。うるんだ目を機内食についていたAir Franceのナプキンを使ってふきとってみる。いつもまつ毛につけていたマスカラが解ける心配を一瞬したが、この日はノーメークであることに気づき、気負いなくごしごしとふき取った。もちろん、わざとらしいあくびを添えながら。周りの反応も気にしつつ、眠そうな眼差しを向けながら。(「おきまり」の作法でしょうか。ばればれだったとは思いますが。)
このたびの研修はso intensiveだった。この11日間のうち、プラハPrague、ブルーノBrno、ウィーン Wien(Austria)にも日帰りで旅行したが、宿泊先であるスラボニーチェSlavonice帰宅後も深夜(朝)までデザイン課題が続いた。アメとムチのバランスがとれるんだか、とれていないんだかよく分からないスケジュール。こみあげた気持は、少々過密なスケジュールだけが原因ではなかった。本人が不向きであることを承知しているのに関わらず、地方自治体にプレゼンする地域計画のチームリーダーに、Olin教授(指導教官)のアシスタントHallieから指名されたいただいたのだった。その際Hallieに「あなたは、もっと前に出なさい」と一言添えられた。「前に出なくていいんだったら、リーダーやります。」と言おうとしたが、決して反抗心からの気持ではないので、言うのをやめた。

(オーストリアのウィーンに日帰り旅行をするも、帰宅後は深夜3時まで作業に取り組む。)
決まったのならとにかくやるしかないってことで、初対面の方を複数含みながら、短期間でアイディアをまとめ(ようとして)、地域計画のためのドローイング(図面や鳥瞰図など)を5枚作成。最終日にはSlavoniceという街の自治体と住民にプレゼンをした。プレゼンの後、Hallieから「今までで一番すばらしい成果だったわ」と言ってもらえとき、その少しおおげさな表現から(笑)この研修でのプロジェクトを一番心配していたのはHallieだったであろうことを実感することになり、嬉しさよりも安心感で満たされた。しかし今までの疲れがどっと押し寄せたまま、このあと続いた3本のパーティーと飲み会でビール三昧。完全に酔った自分に、Hallieを含む皆に別の意味で心配をかけることになってしまった。。。
という訳でエントリ日付はずれますが、チェコ共和国での様子を一挙更新していきますね。よろしくお願いします。
田園や農業の生活風景には、どこか懐かしさを覚える。例えそういった場所で育った経験がなくとも。自分自身の経験による原風景ではなく、都市で暮らす上で心のよりどころになるような原風景。スタジオジブリの『となりのトトロ』に出てくる風景とかは、自分の育った環境とは違ってもどこか日本的な懐かしさを感じてしまう。チェコのスラボニーチェではヨーロッパの、そんな空気が流れている。

自然調和型の生活が近代以降に再評価され、こうした農業一体型の生活や風景が注目されはじめているのは、何もここ最近のことではない。そうした生活を送ることは実際には簡単じゃないのだが、ならばツアーとして経験していこうじゃないか、という試みが日本、アメリカ、そしてヨーロッパといった先進国でも見られる。それがアグリツーリズムagritourism。
日本では一般にグリーンツーリズムと呼ばれているが、これは農場や牧場などで過ごす休暇のスタイルの一つ。農地で営まれる人々の生活の営みに触れる ことで、そこに住む人と訪問者の交流を促すことを目的としていたレクレーションといったところか。地域復興の手段として注目が集まるこの観光産業を、ランドスケープデザインを通して、すなわち地域計画のハードとして提案してほしいというのがスラボニーテェ自治体からの要請の一つでもあった。

確かにスラボニーチェはアグリツーリズムを取り入れるための魅力的なポテンシャルを持っている。
ランドスケープデザインの点から言えば、
つまりは空間の形の点から言えば(プログラムなどを別にして)、
・農村風景が美しい
(電線などがなく視界にはたらきかけるデメリットもない。農地に加え魚養殖のための美しい池もある)
・農村の形に歴史文脈が残る
(写真2:中世時代の細長い形状をした特徴ある農地。私敷地境界線の影響だが、本来牛引きで土を耕した効率性からこのような形がとられた。)
・エコツーリズムとの結びつき
(農地や池を通して、その土地の生態系が育まれている)
・住宅と農地の距離が近い
(住宅街から歩いて20分以内に農地が広がる)
・住宅地と農地が空間としてリンクしている
(大きな規模の農地だけでなく、各家が規模の小さな農地を庭として持っている。)
・食べられる風景で成り立っている。
(街路樹にもフルーツの木がほとんど使われており、街の空間が食と結びついている)
とかかな。
一般的にアグリツーリズムは、エコツーリズムと似たところがあり、持続可能な社会の実現のための観光産業としての社会的な意義は注目されているが、具体的にはニッチ市場としてのみ存在している印象が強い。
端的に言ってしまえば、一日レンタサイクルをして、農業を体験して(あるいは停泊して)だけだと観光者のそこで使ってくれるお金もそれほどには多くない。地域振興のためには、都市と農村の交流の機会に加えて、環境を保全しつつも経済的な利益をどのようにあげるかというのがやはり避けられない。独自の産物を展開していくなど、多岐にプログラムが総合的に配慮されていないとなかなか難しいだろうと思う。それでもまだ足りないかな。都市のデザインと違って、地域計画の空間デザインは積極的に「加えて」いかないといけない。

ランドスケープデザインとは空間のデザインであり、空間は地域の器として、地域活性のためのプログラムを提供する機会を与えてくれる。近年着目されているデザイン分野であるその背景には、こうした都市や地域デザインとしてのスキームを空間設計の面で求められているからなんだろうな。
空間設計する確かな技術に加え、プログラムを含めたソフトも把握し、それらをダイヤグラムなどで見える化する業務も含まれたりと、ランドスケープデザインには総合的な能力が必要だと改めて実感。こうした潮流の中で都市計画のスキームをコンセプチュアルにアプローチするランドスケープデザイナーもいる。多様な種類のデザイン分野がinterrelateする中で、デザイナーとしての本来のクラフトマンシップを失わずに私としては設計をしていきたいものだ。
「直子ちゃんの好きな食べ物はなあに?」
昔(小学生だか中学生の頃だが)、家族と親戚の集まった会で、親戚のおばさまが私に尋ねた質問だ。
「ポテトです。」
迷いなく私がそう言ったときに、隣にいた母親があまりいい顔をしなかったのを覚えている。私の答えには興味を持たれなかったのか、その話題を掘り下げることもなく、おばさまは私の妹に同じ質問を移した。妹は「フォアグラのテリーヌ」とか言って、母親がゆったりと横で大きくうなずいていたのを覚えている。フォアグラってガチョウ?テリーヌって何?すでに話題についていけなかった私がいた。私はポテトの種類には詳しいが、食事に対する興味は姉妹の間でも違ったらしいことを知った。それでも、空気のつかめる妹とはこういう答えができるものなのか、と感じつつも相変わらずの頼りない姉っぷりを披露。ま、姉と妹の関係は今もそんな感じだ。

そんな昔の出来事を思い出したのは、チェコではポテトを主食としている事を知ったからである。すなわちチェコ人は、日本の場合で言うお米としてポテトを食している。チキンとポテト。ポークとポテト。トラウトとポテト。とかく、ポテト、あるいはクネドリーキと呼ばれるパンを食べながらメインディッシュをいただく。クネドリーキは小麦粉とかポテトで作られた蒸しパン。(↓左の写真に写っている白いパン)


(左:典型的なチェコ料理。ヴェネショークネドロゼロという、豚のロースト。クネドリーキ添え。右:これまた頻繁に見るメニューで、ヴェプショヴィー・ジーゼグという豚のカツレツ、フライドポテト添え。)
依然変わらずに私の好きなポテトの畑は、スラボニーチェSlavoniceの街のすぐ外に広がっている。街のエッジでは、家に付随した小さな私営農場があり、その農場を経て大きなポテト畑へと広がりを見せていた。この街の特徴としては、こうした日々の食生活に関わる農場と生活のための場所(住宅街)との距離が近い。街の中心にある教会から、その方角へ歩いても20分もすれば畑が広がっている。こうした畑と住む場所がほぼ一体となって生活空間ができている街、スラボニーチェ。


スローフードなどのライフスタイルの風潮が広がっているけれど、美食とは何かという問いに対して、素朴な伝統的な食事、有機農業といった健康によいものに関心が向かうようになっているみたい。チェコやスラボニーチェでは、今も日常の食事にそれらが反映されている。住んでいる場所に近いところで作られた有機野菜は一段とおいしく感じるのは、気のせいではないと思う。そしてここでは、今食べている食事が、その食材の作られる風景として目の前に立ち上がっている。なんとも健康的な生活風景だな、とつくづく。
by 加藤 直子
フィラデルフィアに春が来た